東京の夜

ゆったりとした服を着て、サンダルを履き、文庫本をポケットに突っ込み家をでる。
暖かい風が身を撫でる。路上ライブやスケボーの輩、酩酊し暴言を吐く者、ろくでもない人間の住むこの街は、それでも、活力に満ちていているように思う。皆、金は無くともそれなりに幸せそうなのだ。そういうひとつひとつの要素が作り出す巨大なエネルギーみたいなものが、この街の独特な雰囲気を形成しているのだと思う。引っ越してから4カ月が経ち、自分自身をこの街に馴染ませていくことはそれなりにできたと思うけど、やはり少し性に合ってないのかもしれない。雪の降る夜のような無音の静けさが欲しい。そんなものを求めている時点で、東京には向いていないのかもしれない。

深夜のマクドナルド。ふと窓の外へ目をやる。
人の少なさと派手しいネオン。真夜中の都会の空虚さ。そういえば、この街がこんなにも静かなのはほんの数時間だけだ。あと少しで高架化された中央線を電車が絶え間なく行き来し、駅は人混みで溢れ、騒音に包まれる。
ゆったりと流れる時間、おそらくは人生でそう多くは無い時間、大切にしないとなと思う。

引っ越し

2017-3-16 23:47

薄暗いこの部屋にはスピッツのロビンソンが微かな音量で流れている。振り返ればこの曲は僕の人生において、節目ごとのエンドロールとして、何かが終わる時には常に流れていた。

最後の掃除を終え、電気の通っていない暗くて何もない部屋に座っている。床が冷たい。
暗いとは言っても夜は外からの明かりが入ってくるので十分移動はできる。
この部屋からの眺めは素晴らしく、高台にある5階からは笹塚〜代田橋が一望できる。奥には甲州街道沿いに建つビル群、手前には住宅がひしめき合い、人々の生活が灯っている。
この夜景を見ながら吸うタバコがすきだった。

さて、今日の午前中に業者がきて鍵を返却しこの部屋に入ることはもうなくなる
すっかり何も無くなったこの部屋はこんなに広かったか。
数日ぶりにはいった部屋の匂いは、自分が生活していた時のものではなく、引っ越し当初のものに戻っていた。確かに最近までここに自分の生活が存在していたわけだが、それがあっけなく消え去っているのは、なんだか不思議だ。

思い起こせば2015年3月、浪人生活を終え上京し、東京での生活への憧れや解放感と共にこの部屋に入居した。
そしていまは2017年3月。
2年がたった、あっという間に。
振り返れば色々なことがありもう一度入学時に戻りたいだなんて情けなくも思ってしまう自分がいる。
これが最後か、と行為の一つ一つにピリオドを打っていく。
さよならを告げた管理人のおじさんはどこか寂しげに見える。

いつまでも懐かしがってもいられない。
まだ半分。走り続けなければ。

高円寺の新居へと、深夜の環七を自転車で北上する。3月とはいえ吐く息はまだ白い。暴力的なスピードでトラックが走っていく。皆、生き急いでいるのかもしれない。新宿駅で桜が咲いているようだ。春はもうすぐそこまで来ている。